シドニーの礎
2度目のシドニーだった。1度目と同じ11月。春の到来がいつもより遅かったらしい。ジャカランダの花が街のあちらこちらで満開になっていた。花弁は桜の様にハラハラとは散らない。ストン!と潔く落ちる。
シドニーは若い街だ。イギリスから移民がやってきたのはわずか200年前。移民というと能動的な雰囲気だが、イギリスはこの地を「流刑地」と位置付けていた。
シドニー中心部にあるハイドパークバラックス博物館へ向かった。元々は囚人宿泊施設として1819年に建てられた。
約200年の間に、壁が何度も塗り直されたり、新しく壁が作られたりしている。
ハンモックがズラリと並んだ部屋は不気味で生々しい。手渡された日本語の音声案内が「この建物内に残された痕跡からわかるものは沢山ある」と繰り返していた。
「そりゃそうだろう」と心の中で呟いていた。
オージー(=オーストラリア人)に言うと嫌な顔をされるかもしれないが、200年前のものなど、あって当然なのだ。大陸の、何千年前とか、何万年前のものを掘り返すのとは違う。
イギリス本国から送られた若い囚人達は単にそこで刑に服すだけでなく、家庭を持ち、仕事持ち、街の礎を築いた。
そこからまだたった200年。
シンプルで無駄のない街並み。安心安全、信頼できる食料品質。
バス、鉄道、船の料金が一枚のカードで支払える効率性。クレジットカード普及率(今回の旅、現金は1ドルも持たなかったが全く問題なかった)。
古いしがらみがない、未開の地で、若い頭を使って勢い良く築き上げた最先端の文明。なにもかもが気持ち良い。もちろん、祖国を追い出された囚人達の苦しさあっての結果である。