タイ人ママに「ママ友」はない
番組は見てないけど「日本特有の”ママ友”」というフレーズが頭に響いた。
たしかにタイ人の「ママ友」同士が井戸端会議しているような姿をバンコクで見たことがない。居るとすれば十中八九、それは日本人である。 タイ人ママに「ママ友」はいない。いるのは大勢の「顔見知り」。おそらく朝起きてから夜寝るまでに、顔見知り30人くらいと毎日何かしら言葉を交わす。
タイ人は1人を嫌がる。同時に1人にさせることも嫌う。近所の屋台やカフェは昼時になると人で溢れかえるが、1人で食事をしている姿は殆ど見かけない。
「1人で何かを行う」という文化?がほとんどない。店で店員に文句を言うと、1人で対応せず必ず誰かを連れてくる。又は、逆切れする。たった5分でも1人で何かをやるということは、100人の前でいきなりピアノソロコンサートをやるのと同じくらい緊張する出来事なのかもしれない。
1人でコンドミニアム前に立つ警備員などは、通りすがりのバイクタクシー運転手に、兄弟のように話しかけている。言葉が通じないであろう中年日本人女にも人懐っこい視線をよこす。とにかく1人ぼっちに弱い。
我が家のあやさん(家政婦さん)は、私が外出することを告げると少し残念そうだ。鍵を彼女に預けて出掛けるのは私が彼女を信頼しているからだし、1人の方が何かと気楽だろうと思うのだが違うらしい。あの残念そうな顔を思い浮かべると、彼女を1人残して出掛けるのが申し訳ないような気分になってしまう。
文中と関係なし。タイにありがち。ひねりのないマスコットに癒される
さらに、その気楽なやり取りに意味はない。だからうっとおしくはない。「お嬢さん、今日はどちらへ?」「うん、ちょっと用事〜」という会話に、意味や真意を問い始めるのは面倒くさい。一昔前、日本にもこういうコミュニケーションはたくさんあったはず。今の日本人になくて、タイ人にあるのは、「目の前に誰かがいる=話しかけてもOK」という図式だけだ。
日本人は、せまい人間関係を深く掘り下げることに喜びと価値を見いだしがちだ。しかしそれは、そんなにいいものなのか?タイ人を見ていると段々わからなくなる。浅ければ浅い程、軽ければ軽いほど、お互い気楽。毎日がスムーズ。タイ人は毎日楽しそうだ。ママも子どもも、おっちゃんも。
もしも「ママ友」に疲れているのでれば、一旦ママ友から目をそらし、そこら辺のおっちゃんやおばさんに手当たり次第話かけてみるのはどうだろう。しかも毎日。ママ以外から意味のない会話を投げかけてみるのもいいだろう。孤独なんてどうでもよくなってしまう・・・かもしれない。
人生初・宇宙精神体みーちゃんとチャネリング。
クリエイター。創造の人。イメージするスピードが人より大分早い。そのイメージは時系列に沿って浮かばない(発想の神は順番を考えていない)。イメージの量とスピードに行動が追いつかないため、常に焦っている。ストレスが溜まる。 部屋のあらゆる場所にホワイトボードを置く、またはノートを作る。とにかくメモすること。 そんな作業が、後の自分自身に大きく役立つ。
・・・・・・チャネリング開始後、すぐ伝えられたのがこんな内容であった。文字にするとなんてことはないかもしれないが、私にとっては目からウロコな内容だった。
神辺バンビさんは、日本のスピリチュアルチャネリストである。
活動拠点は主に中国地方だが、近年、バンコクやインドネシア、台湾など活動の場を拡げておられる。
チャネリングはどこでも大人気で、今回バンコクで行われたプチセッションも予約待ちが出来るほど。これは無理かと諦めていたところ、数時間前にキャンセルがあり、運良く滑り込むことができた。これも守護神のおかげか??
「スピリチュアル」とか「占い」にはかなり疎い方だ。何か精神的に頼りたくなった時、答えがわからなくなった時はだいたい、本を読むか、誰かに会う。気が向けばちょっとだけ運動をする。目に見えないものにお金を払うのが面倒な現実主義だ。
そんな私がなぜか、チャネリング(宇宙精神体との交信)を体験することに。きっかけは口コミ。身近な経験者が「とにかく面白い」「当たる」と言ってはばからない。神でもアドバイザーでもとにかく、自分自身の事を客観的に語ってもらえるというのが魅力的に思えた。 タイ在住であることも動機の1つかもしれない。何事にも寛容なこの国の雰囲気が背中を押した。
30分間で聞いたことを今改めて思い変えずと、なんだかこう・・気が楽になっていく。それだけでも初体験に挑んだかいがあったというもんだ。得した気分。楽しい経験をすると、誰かに伝えたくなるのが人情。 こうして、バンビさんの予約はますますとりにくくなっていくだろう。
私の場合、手が濡れている時によくひらめくらしい。濡れていてもメモるためにはどうしたらいいのか。
と、思ったらこういうものがあった。
すばらしい。こりゃお風呂タイムが変わるわ。
家政婦さんがいる生活
仲睦まじい夫婦のベッドルームを紹介したいわけではない。
アヤさん(家政婦さん)のお世話になり約2ヶ月。地味に、生活スタイルが変わった。
一番嬉しかったのは、シーツの洗濯から解放されたこと。
シーツを洗う日は洗濯を2回行う。主婦ならわかると思うが、洗濯機を2回以上回すということは当然、その他の作業も2倍になる。一部を漂白したり、アイロンがけが必要なシャツがあったりすると、もう、一日の半分が洗濯で終わってしまった様な気がしてくる。
洗濯、掃除、3度の支度。これに、子育てや仕事の時間が加わるのが日本の女性。自分の仕事以外は全部タダ。想像しただけで気が滅入る。『昔の女性はこなしていた』と聞くが本当だろうか。仮に、昔=30年前くらいとして、フルタイムで働く女性がどれだけ家事をこなせていたのだろうか。『こなしている風』を装うのが上手かった。または、客観的に自分の生活を評価するツールが無かっただけではないかと想像する。
1つ前の記事にも書いたが、日本は本当に「家事代行サービス」を充実させるべきだと思う。いいかげん、女性を家事から解放してほしい。「お嫁さんの条件は料理上手」という若い芸能人のコメントにはうんざりする。政治家の皆さんは、労働人口を増やしたいなら、婚活斡旋やら税率見直しの前にまず自分んちの「家事スタイル」を見直してもらいたい。(・・・お金持ちのお偉いさん方は、家政婦さんがたくさんいるからそんな事考えないのか。)
話は戻るが、我が家のアヤさんは3〜4時間程で、仕事を終える。一流ホテル並みのルームクリーニングとまではいかないが、トイレ・バスルーム・床はピカピカ。すっきりした部屋でゆっくりコーヒーを飲む。一人で全く同じ作業を行ったとする。きっと疲れ果て、お昼は菓子パン、そしてお昼寝コースだ。
一定のお金を支払い、時間を買っている。こうやってブログを書いている後ろで、アヤさんは今日も黙々と、シーツを交換し、洗濯した洋服の殆どにアイロンをかけている。
アヤさんがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!
「アヤさん」はタイで経験したいことの1つだった。先月から週に2回、1万円ほどでお世話になっている。掃除、洗濯、アイロンがけをお願いしている。言えば買い物も料理もOKだそうだ。
■アヤさんとは
メイドさんのこと。タイ語ではメーバーン。タイの一般家庭にて、アヤさんがいるのは別段、特別なことではない。相場は日本の約10分の1。日本人がなぜ「アヤ」というのかは不明。
向かって左から、窓ふき用・台所用・バス用・トイレ用。アヤさんのリクエストにより購入。どれも香りが・・・強烈。化学洗剤を使うのはあまり好きではない。しかし、この際どっぷりタイ人の文化につかるのもよいかと、言われるがままに購入。
日本語が話せるアヤさんなので意思の疎通には困らない。時々タイ語を教えてくれる。一石二鳥。当たり前だが、家事のプロなので仕事が早い。2時間程で家中ピッカピカ(同時にすてきな香り)。苦手なアイロンがけとシーツの洗濯から解放された。家の中にいながら家事を気にせず、仕事や勉強に集中できる。この快適さは癖になる。
共働きが多い日本にこそ、アヤさんが必要ではないか。家事代行サービスが最近流行っていると聞いた。おおいに流行ればいいと思う。お金を払って家事をやってもらうことに大きなデメリットはない。逆に、無料で日々家事に勤しむのが無駄・・とは言わないが(別に家事が嫌いというわけではないから。むしろ好きよ)、時間がもったいない気がする。メイドさんを雇うことは決して贅沢なことではない。
タイム・イズ・マネー。ひとまず、バンコク在住の方であやさんを雇ってみたいと思われる方はお気軽にご連絡を。うちのあやさん、まだまだ仕事がしたいそうな。
つい先ほど、アヤさんが我が家での仕事を終え、今度は別の現場に向かうらしい。
本日もお疲れさまでした。
2016年も爆進するのみ
元日朝からパタヤへ。いつもならバスだが、景気よくレンタルタクシーを手配。タクシーは「オールパタヤ」さん。完全ネットオーダー。メールのバウチャーは送られてきたものの、事前の確認などはなくやや不安だったが、約束の時間10分前にはちゃんとドライバーが現れた。大した渋滞などもなく、丁度2時間でホテルに到着。片道1500バーツ。
海沿いのタイ料理レストラン。乾期の風が本当に心地よかった。この時期の空気は海沿いでも湿度が低い。天然のエアコンルームに入ったようだ。
ちなみにお店はこちら
ウォーキングストリート手前。ビアガーデンとあるが、レストランである。夕日を観ながらのディナーに最適。タバコも可。
また、行ったことのないイタリアンに行きたかった。口コミを見てこちらに決定。
大きな釜があり、シーフードピザが美味しかった。家族連れも多かった。
現在。
食べる→マッサージ→寝る→食べる。これを3回ほど繰り返したところ。来年こそは、と心に誓ったダイエット。すでに雲行きは怪しい。
暮れていく景色とパソコンを眺めながら、明日以降の自分について考える。以前より、自分自身に落ち込んだり喜んだりする事はが減った。自信がついた、というわけではない。もしかしたら鈍感になったのかもしれない。開き直っている感もある。
机上の空論はいらない。前に進むだけだ。
周囲に感謝。そして一日一日を大切に。